読書録を書いていきたい、と宣言するだけの記事

昨年はきれいな三日坊主のお手本を示して、年を終えてしまいました。

今年はがんばります。(フラグ)

 

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「ワンピースを読まないなんて、人生の3分の1損してるよ!!!」

女の子があまりに自信満々に言うもんだから、ごめんってなった。

当時、大手寿司チェーンとのコラボフェアが始まるほど、ワンピースの流行は爆発していた。ちまたの女子高生のかばんには、まるで示し合わせたかのようにチョッパーのマスコットがぶら下がっていた。新刊が出ると、必ず感想を言い合い、ネタバレやめて!と怒られる姿を見た。読んでいない私ですら、登場人物の名前を覚えたくらいだ。

 

そのワンピースを、この前ようやく読破した。

ワンピースが3分の1を占めるような人生でいいの、という私の考えは30°ほど変わった。3分の1はいやだが、100分の1くらいならいいかもしれない、くらいにはなった。

しかし、79巻とか正気の沙汰とは思えない。しかも作者の尾田さんは、ストーリー以外も細かく作り込んでいるので、巷のさらりと読めるアクションマンガよりは、かなり時間がかかった。11月末に完結したNARUTO!が3晩で読破できたのに対し(一晩で25冊は読めた)、ワンピースは10冊読み切ると夜が明けていた。

尾田さんは、原稿への描き込みも凄まじければ、読者サービスも旺盛であった。

ところどころにパンダを描き込む、古典的な私の好物も仕込まれていた。

その上、落語の萵苣医者ネタ(下記)を盛り込んできたりする、そのセンスが憎い。

 

tweet-manga.seesaa.net

 

まあ、そういう細かいとこは置いとくとして、こういうイッキ読みをしたときによくあるのが「読んだけどうろ覚え」状態だ。

 

ひじょーにこまる。

 

どれくらい困るかと言うと、ワンピース貸してくれた人の「25冊めまで読んだの?アラバスタが終わった後くらいかな、どうだった?」という軽い質問についていけないくらい困る。(しかも、ワンピースオタクの記憶力はライトオタクでさえそこそこ高い)特に、マンガの特質上、人物は名前ではなく顔で覚えることが多い。ワンピースほどの量になると、大学1年生の4月に匹敵するのではないかというくらい、顔と名前が一致しない。正直私は、アラバスタ編のクンフージュゴンに釘付けだった。(が、これすらも「ワンピース アザラシ」で検索済である。)

 

1000冊は優に越えているこれまでの忘れてしまった記憶を取り戻すためにも、そしてこれから出会う本を忘れないためにも、 ここに書いていきたいなと。

ブログなら、加筆修正し放題ですしね!

そう言いたいだけのワンピース話でした。

 

続く、かな……?

 

(この記事は以前書いていたブログの再録です)

“課金”という言葉の罪

“課金”という言葉の登場は、「作り手の労力に対して対価を払う」システムに異変を起こした。支払う、という行為が特別なものに昇格してしまったのだ。

 

これはけっこう大変なことである。

課金、という概念は消費の質と制作者の立場の低下をもたらす。

消費側からすれば、受け取るモノは代替がきくものである。

簡単に手に入るため、そのモノに対するストーリー(手に入れるまでの苦労or手に入れてからの思い出)がない。ポケモン新作まだかな、おこづかい足りるかな、といった気持ちの高まりがないわけです。ゆえに愛着がわきにくく執着もない。すぐに飽きる。結果、浅い消費のサイクルがどんどん早まっていく。

一方の制作側は、モノをつくるためにかなりの時間と労力と技術とを投下する。そのぶん彼らとモノとの間にはたくさんのストーリーが蓄積されていく。それだけたくさんの想いをこめたモノが浅い消費のひとつになる・・・。

この制作側と消費側の熱の差。切ない。

 

それから、アマチュアもプロもごっちゃになる、というのも至極ひどい話だ。誤解を恐れずにざっくりと、片手間で、つまり趣味でつくるアマチュアさんと、全部の時間をかけて仕事としてつくるプロさんと定義する。もちろんどちらも「好きだから」つくっていることは一緒で、そこに差はないだろうけれど。

違うのは、後者はそれを食べていくための手段として、覚悟を持って選んでいるということ。四六時中どうしたらもっと良くなるか考えて、技術を向上させて、プロとしての責任を持って市場に出している。(8割の出来でよしとされるのがアマ、10割やりきって初めて評価されるのがプロだと思っています)

それをプロアマ一緒くたにして、値切るどころか正当な対価を払わない、とはいかがなものか。

ねえ。

 

出典は見つからなかったけれども、日本アニメの未来についての記事で、アニメーターの待遇についてのものを読んだことがある。制作費やその世界のピラミッド構造から、育てるべき人材に安い賃金(歩合制なのでお給料という感じではない)でひたすら原画を描かせて現状を維持してきたために、ガンダム世代引退後を引っぱっていける人間がいない、といったものだった(はず)。

この記事で特に問題だと思ったのは、アニメが好きだから、という理由だけで原画書きを続けている、という現状だ。それでも金銭面での苦労からやめていく人間が後を絶たないという。

 

対価を渡してほしいモノを買う。それを元にまた新しくモノをつくる。

その正しいサイクルをまわさずに、制作側に好きだからいいでしょ論を強いるようでは、つくる産業は衰退してしまうように思うなあ。

 

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顧客確保のために敷居を下げたい、という思いで基本無料の課金制度は始まった。

課金無課金ではなく、同じ無料でも、あくまで「試用」にとどめれば、モノの価値、作り手の価値を下げずに済むと思う。

場所や時間、イラストであれば画質の制限など手は色々あるが、いずれにせよ無料で「手に入る」ことは避けるべきだ。

 

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制作側ばかり盛り上がってしまったけれど、消費側はどうなんだろうか。

課金概念は、モノを買う時のかせになるように思う。

特に、これといった判断基準のない、知識、情報や音楽、イラストなど。

モノを買う時のハードルが上がる、と言った方がわかりやすいかもしれない。

 

ためらわずにきちんとお金を出すべきときはある。

いつまでもひのきのぼうを振り回していてはボスには勝てない。

 

無課金は何も消費しない代わりに何も生産しない。

時間だけを少しずつ、そして確実に浪費していく。

 

無課金人生を送る人間に誰が課金しようと思うんでしょうね?

 

 

 

(この記事は以前書いていたブログの再録です)

保険がありあまる

ちまたではロマンスがありあまっているらしい。

 

ブログを始めようとして挫折すること計3回。

初日はカスタマイズに凝り、2日目はコンセプトに悩み、3日目は文体に悩む。

そうしてきれいに三日坊主に終わるわけであります。

 

書き出すまでに30分かかった今回がうまくいくかはわからないけれど、

ブレブレのまま進んでみようと思う。

 

「保険がありあまる」

私のメールは長い。

なにか言いたいことが一つあると、その後ろにその理由を書き、その文体も、とか、なんか、割と、ぽい、のオンパレード。

文末に「だと思うよ」が並びまくり、「と感じました」「の方が〜じゃないかな」に一部を変え、挙げ句の果てには、カッコ書きで「もちろんこれは人の好みだけど」なんて付け足す。

 

 

その通り。

私の文体は、相手を大きく傷つけることはないノーリスク、相手に深く響くこともないノーリターン。そろそろきちんとリスクを取れる人になりたいですね、はい。

 

なに書こうとか、ブログの名前どうしようとか、ああ見た目、とかあるので、コロコロ変わります(断言)

文体もきっとばらばらでしょう。

こいつえらそうに書いてやがる、と思われたときは、その文体の後ろで「これでいいかなこれでいいかな」とおろおろしてる姿でも思い浮かべてください。

 

(この記事は以前書いていたブログの再録です)

お引越ししてきました

はてなのIDを変えたかったからです。

よく考えてみたら、前のIDがリアルの人と繋がってるTwitterアカウントと同じにしていて、検索かけられたら一発アウトだと気付きました。おばかちゃん。

前のブログは全然更新していなかったけれど、記事はコピペしてこっちに移しました。

(ブログ消してアカウントごと消すぞーとしたら、サブアカウントがつくれるよ、という文字がありましたが見なかったことにしました)

 

そんなに更新しないと思うけれど、壁打ちブログとして、ひとつ置いておこうと思います。